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25 Apr. 2022

「暮らし」の考察

タイニーハウスは人生の通過点。
この先どう生きるかが見えてくる 

編集長・千代田がここ数年どうしても会いたかったのが、タイニーハウスビルダーの竹内友一さんだ。2022年5月21日〜22日に沼津で開催するイベント『(re)generate!』のトークショーにもご登壇いただけることが決まった。株式会社ツリーヘッズの代表である竹内さんは、これまで全国各地でツリーハウスやタイニーハウスを製作してきた。そして新たに始めようとしているのが『HOMEMADE』というプロジェクト。タイニーハウスを利用して小さな暮らしを実践してみようという試みだ。リジェネレートマガジンのテーマである「再生」とも繋がる、『HOMEMADE』プロジェクトが生みだそうとしている新しい暮らしとは……。タイニーハウスに興味津々のノマディクススタッフを交え、ツリーヘッズの拠点がある八ヶ岳の麓へと竹内さんを訪ねた。

*タイニーハウスとは……
主にトレーラーの上に載ったシンプルな小屋のこと。住居のほかに、農作業小屋や事務所、店舗として活用することもできる。居住空間の広さに制限があるため、住居として用いる場合はオーナーの暮らしに対する考え方が如実に反映される。車の牽引による移動も可能

あえて完全な図面はつくらない

千代田:ここはずいぶん広々とした敷地なんですね。こうして実際にタイニーハウスを見てみると、なんだか何でもできるような気がしてきますね。夢が膨らんでくるというか。だいたい男子はこういう秘密基地みたいなものが好きですよね。

竹内:そうですよね。一般の住宅と同じような造りで、なおかつ規模が小さいので、結構強度もあるんですよ。捻れなんかも出にくいつくりになっています。

「オーダーメイドなので、何を設置して何を省くかにオーナーさんの個性が出ます」と竹内さん(手前)

千代田:中に入った方が広く感じますね。僕が竹内さんを知ったのは、甲府のアウトドアショップ・SUNDAYに置いてあったフリーペーパー『On the Road』がきっかけなんです。そこで、竹内さんが2017年に制作されたドキュメンタリー映画『simplife』(シンプライフ)を知り、さっそく見ました。アメリカでタイニーハウスに暮らしている人たちと、そこで生まれたコミュニティを追ったロードムービーで、描かれている世界にすごく惹かれたんです。竹内さんはなぜ、タイニーハウスをつくるに至ったのですか?

竹内:僕は建築的な仕事を始めたのが遅かったので、普通の大工さんが建てているようなものをつくっても勝負にならないと思ったんですね。それで、最初はツリーハウスから始めました。ツリーハウスは大工さんがつくりたがらないし、タイニーハウスのような車を改造する手法も嫌がる人が多いので、その両方を手がけることで、既存の建築の隙間をぬった仕事ができるかなと考えました。あまり人と勝負したくないタイプなんです(笑)。

ツリーハウスもタイニーハウスも、最初にお客さんとコンセプトをすり合わせると、後はこちらに任せてくれることが多くて。現場で決めていく作業になるので、毎回が勉強です。いま工房で製作している幌馬車のタイニーハウスも、つくっていると予想外の出来事がいろいろ起こるんですけれど、僕らドMだから大丈夫です(笑)。

千代田:設計プロセスはどんな感じなんですか?

竹内:僕がスケッチアップという3Dのソフトでラフをつくって、あとは現物を見ながら調整していきます。大枠を組んだ後、「こうした方がいいね」と現場ですり合わせながら決めていきます。オーダーメイドなので、完全な図面化はしません。逆にそれはなかなかハードルが高いプロセスなんだけれど、山は高い方が登ったとき面白いじゃない?

千代田:そうですよね(笑)。

竹内:僕は山登りをしないけれど、同じかなと思って。車で行ける山より、ちょっと頑張らないと行けない山の方が楽しいし、途中に発見もある。だからいつも藪漕ぎなんですよ。

千代田:お客さんによっては「そんな山に僕らを連れて行くの?」というケースもあるんじゃないですか。

竹内:確かにそんな感じになるんだけれど、実際はお客さんも山のてっぺんがわからないんですよ。初めて試すことだから。それで僕らが「これくらいまで行こうと思うんですけれど、どうですか?」と提案する感じですね。正直いえば、時間とお金の可能なところまで行くということ。僕らはそんなにボロもうけしようと思っているわけじゃないから、「ここまでが限界でした」と伝えると、お客さんも「そうみたいですね」と納得してくれる。僕らが終えたときが完成です。

完全な図面をつくってしまうと、どうしてもその図面だけを目指してしまうでしょう。本当はもっといろんな山のピークやルートがあるはずなのに。

原点は「出張先で自分の部屋が欲しかったこと」

ーーー起業当初、ツリーハウスを手がけられていた頃はどんな状況だったのですか。旅が多かったそうですが。

竹内:一年中、全国を回っていました。年のほとんどを自宅以外で過ごしていたんです。ツリーハウスをつくること自体は楽しいんだけれど、ご飯を食べたり寝たりする場所が安定していなくて、寝る場所が人の家の庭だったりビジネスホテルや民宿だったりして、次第に疲れてしまって。

それで自分の生活空間を移動させて現場に行きたいと考えたのが、タイニーハウスに着目した起点でした。どこに行っても、自分の部屋があれば居心地がいいかなと思って。

富士吉田で製作したツリーハウス(写真:竹内友一)

僕は20代の頃にアムステルダムにいたんですけれど、それこそウルトラライトな暮らしをしていたんですよ。ザックひとつ背負っていろんなところに出かけて、マットを敷いたところが今日の自分のシェルターみたいな感じで。マットのどこに鞄を置くかまで決めていて、禅僧みたいでした。

千代田:なぜアムステルダムに?

竹内:洋服が大好きで、高校卒業後に服飾の専門学校に通ったんです。それでファッションの本場を感じるために20歳のときに渡英して、そこからいろいろあって、結局アムステルダムに流れ着いて。オランダの建築家ヘリット・リートフェルトがつくったアカデミーに通いました。そこでは現代美術と実用家具の中間くらいの隙間作品をつくっていました。座れない椅子とか大きすぎるテーブルとか、一点ものの家具です。

オランダのものづくりは、もともとコンセプチュアルなんですよ。仕上げの丁寧さよりも、思考の遊びをしているようなところがあってね。とくに僕がいた頃はドローグ・デザイン(それまでの価値観を覆すような〝考えさせる” プロダクトデザイン)が全盛期だったから、ヘンテコなものばかりつくっていました。鮨屋のアルバイトをしながら、稼いだお金でものをつくり、日本の展示会に出品するような生活をしていました。

ところが、世の中にはデザイナーが溢れるほどいることに違和感を感じてしまって、「もう、余計なものを生み出さなくてもいいな」と思い始めて、28歳のときに日本に帰ってきました。それで、「ゴミにならないデザインは何だろう?」と考えたら、ソフトウエアかなと。それから環境教育のプログラムとか、体験学習のプログラムなどを設計するようになりました。山梨県の道志村に移住して、山の中で子どもたちと遊ぶイベントなども行っていました。

千代田:なるほど。そういう経緯だったんですね。そもそも、ツリーハウスづくりの技術はどうやって体得したのですか。

竹内:道志村のキャンプ場で働いていた頃、都市部の子どもたちの自然体験とか、企業の顧客サービスとしての林業体験を企画していたんだけれど、当時(18年前)は山になかなか人が来てくれなくて。オランダと比べて日本は自然に恵まれているなと思っていたけれど、実際に山に入ってみたら、日本の森林は結構大変なことになっていることも知りました。

同じ頃、高尾山の自然保護活動をしている「虔十の会」の坂田さんがツリーハウスを建築中で、その製作にボランティアとして参加しました。何もない森にツリーハウスが誕生したことで人が集まってくるのを見て、もしかしたら他でも同じことができるんじゃないかなと考えたんです。

千代田:仕事としては、どのようにしてタイニーハウスにシフトしていったのですか。

竹内:そもそもは、出張先で自分の部屋が欲しかったことがタイニーハウスに注目したきっかけだったんだけれど、調べていくうちに、アメリカでタイニーハウスのムーブメントが起こっていることを知ったんです。それでアメリカに渡って、ワークショップに参加して、帰国後すぐに自作してみました。

いま敷地内に置いてある古い方のタイニーハウスはその頃のもので、いろんな場所を移動しましたね。それ以降は、あまり移動するタイプのタイニーハウスはつくっていませんけれど。

千代田:これまで製作したタイニーハウスは、主に住居用ですか?

竹内:いえいえ、企業とタイアップして製作したものが多いので、完全な住居用ではないです。あの小さなスペースに、持ち主の人生観や暮らしにおける選択を詰め込むというのは、相手との相当なコミュニケーションを必要とするんですね。手間暇かかる割には、個人だとそんなに費用もかけられないから仕事としては大赤字になってしまう。これは続けられないなと思い、企業クライアントが増えていきました。

そうはいっても、タイニーハウスムーブメントのコアは人の暮らしです。映画『simplife』でたくさんの人を取材してからずっと、コミュニティがつくりたいなと考えてきました。

新しい暮らし方を提案する『HOMEMADE』

千代田:新しく手がけられている『HOMEMADE』もとても興味があります。人が集まるリビングをタイニーハウスの中に入れ込もうと思うと、物理的に無理がありますよね。そうした人と人との触れ合いはコミュニティとしてタイニーハウスの外側に置いて、パーソナルな住空間としてタイニーハウスを存在させるという考え方が、すごく理に適っているというか、いいなと思いました。

竹内:タイニーハウスのコミュニティをつくろうと思ったのは、ただ単純に僕がそういう暮らしをしてみたいからなんです。人数は多くないかもしれないけれど、共感してくれる人はいると思う。僕はこれまでもずっと行き当たりばったりで、先に何があるか見えなくても、楽しそうだなという匂いを辿って生きてきました。まずはやってみて、ダメなら次を考えようみたいな感じです(笑)。

そういう意味でいえば、以前ほど「タイニーハウスとは何ぞや?」という意義にはこだわらなくなってきましたね。タイニーハウスをビジネスにしている人たちもいるけれど、もう日本のタイニーハウスがどうなるかには僕自身は興味がないんです。

いま、僕の周りにはいい仲間がすごく増えてきているんですよ。幸福度って、周りにいる人たちとか周りにある自然とか、自分が何に属しているかで変わってくると思う。僕は八ヶ岳南麓の自然に属していて、そこに集まってくる人たちとの関係がとても気持ちいい。そういう塊をもうちょっとつくったらどうなるだろうかなと、そう考えています。

ツリーヘッズで開催したオープンハウス(写真:竹内友一)

*HOMEMADEコミュニティとは……

タイニーハウスを活用した持続可能な次世代コミュニティをつくるプロジェクト。はじめの一歩として、実験場としてのビレッジを一般公開している。今後シリーズを拡大していく予定の量産型タイニーハウスのモデルハウスも見学可能。

ーーーお話を伺っていると、帰国されてからこれまで、竹内さんご自身の変化も大きかったのですね。

竹内:そうですね。日本に帰ってきたとき、たまたま友だちが山中湖に住んでいたんですね。僕は帰国後ちょっとだけ、東京・福生のカレー屋でバイトをしていて、福生から山中湖に遊びに行くとき道志村を通ったんです。それで「ここいいな、住みたいな」と感じて、そのまま都留市のハローワークに行って、道志村のキャンプ場の仕事を見つけて働き始めました。それが、山梨で暮らすきっかけになっています。

そんなふうに、僕はちょっと衝動的で危ういところがあります。イギリスからオランダに流れ着いたのも行き当たりばったりだったし。多分、僕は多動なんですよ(笑)。

千代田:多動ね……。僕もそうかもしれない(笑)。

竹内:急激に動いてしまうから、何をするときも周りから「大丈夫?」って言われてしまう。ただ最近は世の中の空気が以前より自由になってきたので、大らかに受け止めてもらえるようになりましたけどね。

千代田:でも僕自身は器用な人より、竹内さんのようにパワーがありすぎて、ちょっとはみ出している人の方に惹かれますね。

竹内:藪の中を走るのが好きなんです。それでみんなに迷惑をかけたりもするんだけれど、いまはそれを一緒に楽しんでもらえるようになってきたかな。

コミュニティは流動的であるほどいい

千代田:実際にタイニーハウスをつくる場合、車検や税金などはどうなっているんですか?

竹内:そのあたりは個別の形状や設置場所によってマチマチです。まだマーケットが大きくないからかもしれないですけど。80年代頃から輸入車として入ってきたトレーラーハウスはひとつの産業になっていますが、法律的に建築なのか車なのか分かりにくい部分もあります。だから自治体によっては、固定して使うことを推奨しているところもあります。

市場では「固定資産税を払わなくていい」を謳い文句にしている人たちもいるけれど、僕自身はいろいろな種類のトレーラーハウスをきちんと分類して、それぞれに必要な税金を払い、社会の中で認知させていく方が、将来を考えたらいいのではないかと思っています。

アメリカではかつて、住居の小ささについての制限もあったんですよ。その理由は主に2つあって、ひとつは都市部を人口過密にしたくないから。もうひとつは移民の人たちを狭い場所に住まわせて、安い賃金で労働させるのを抑止するためでした。2000年代の半ば頃から「リーガライズ・タイニーハウス」というムーブメントが起こって、「狭い場所に住むことは強制されているのではなく、自分たちで選択しているのだからいいじゃないか」という考え方が広がり始めました。テキサスなどでは、タイニーハウスに住みたいという人たちを誘致するような動きもあります。アメリカでもルールづくりはこれからという状況です。

千代田:主にどういう人たちがタイニーハウスを求めているのでしょう。

竹内:実は僕もそこに興味があるんです。ツリーヘッズを起業して10年経ちますが、そこを見極めていくのはこれからです。ツリーハウスやタイニーハウスなどの小屋を70個近くつくってきましたけれど、基本的には企業とのコラボレーションとしてつくってきたので、これから個人ユーザーとのお付き合いが始まるわけです。それが『HOMEMADE』のプロジェクトに繋がっていくのかなと思いますね。

だからオープンハウスでは、いろんな人の話を聞いています。ユーザーのニーズを拾い集めて、それに合わせていくのが『HOMEMADE』の仕事なのかなと思って。逆に『TREEHEADS』名義でつくるものは、企業から「こんなことがしたいんだけれど、どうかな?」というお題をいただいて、それに対して大喜利みたいに僕らが答えを返していく作業に近いかな。これからは企業と個人の両輪でやっていきたいなと思っています。

『HOMEMADE』ではハード面だけじゃなくて、運営プログラムの開発も必要になってくると思います。

千代田:面白いですね。意気込みがありすぎる人ほど、挫折したりするケースも出てきそうですけど。

竹内:でも挫折するのもいいんじゃないかなと思うんですよ。家を買ってしまうと、どうしようもないところがあるじゃない?

千代田:本当にそう。僕自身も家を建てている最中に、ちょっとそういう経験をしました。

竹内:タイニーハウスなら挫折できるチャンスがたくさんある。2000年代、僕はパーマカルチャーにも興味があって、オーストラリアの「エコビレッジ」を回ったりしたんです。実際に見てみたら、広大な敷地を買って畑を耕して、みんな忙しそうだった。なんだか大変だなと感じてしまって……。

他にも、ヨーロッパなどでは「コウハウジング」といって、集合住宅に住みながら、インフラは共有するというスタイルがあります。アムステルダムに住んでいたとき、僕もそういうコミュニティに遊びに行ったりしていたんだれけど、それはそれで息苦しかった。壁一枚隔てたところに人がいて、夜まで音を鳴らしたり、騒いだりするしね。近すぎる人付き合いも苦手だし。

タイニーハウスのコミュニティは、ちょうど両者の中間くらいになるんじゃないかなと想像しています。人と人の間にちょっと畑があるくらいの距離感で開発できれば、住みやすいのかなと。

今までのあらゆるコミュニティが時間とともに手詰まりになっていったのは、長老のような権力者が生まれてくるからじゃないかと考えているんです。初期メンバーたちの知見が豊富になっていって、その人たちの下にヒエラルキーが形成され、次第にコミュニティが硬直してしまう。コミュニティは流動的であればあるほどいいんじゃないかなあ。

僕が『simplife』で撮影したコミュニティも、いまほとんど入れ替わっていて新陳代謝がある。そういう「逃げられる環境」がいいんじゃないかと。日本にも流動的に生きていく人がたちの文化があってもいいと思うんですよ。

千代田:いいと思いますね。

竹内:日本各地にそういうコミュニティがたくさんあれば、移動して生きていけますよね。寒くなってきたから伊豆の空いているコミュニティに行こうとか、子どもが大学に入学するから家族でそっちに行こうかとか。

昔ながらの地縁血縁ではなくて、もう少し同じ意識を持つ人たちが集まるコミュニティがいいかなと。それによってビレッジごとに特長も生まれると思うんですよ。海の近くならサーファーばかりとか、瑞牆山の近くならクライマーばかりとか。多様な世代が集まるビレッジのあり方もあるのかもしれないし、実践していく中で見えてくることがあるんじゃないかなって。チャレンジしがいがありますよね。

タイニーハウス暮らしは「問題を発見する行為」

竹内:いま日本の分譲住宅を見ると、住んでいる人はそれぞれ個性が違うのに、外から見るとみんな一緒じゃないですか。タイニーハウスは狭いから置けるものが限られてくるので、個性が出ます。人生の中で、本当に自分のやりたいことにフォーカスするために、一時期タイニーハウスに住んでみて、余計なものを取り除いてみるというのもいいんじゃないかなと思いますね。

千代田:このマガジンは「再生」がテーマなんです。固定概念を捨てて、意識を再生しようというスローガンがあります。興味や趣味こそが生きる喜びというか、人間の原動力なんじゃないかと思っているんですね。そういう楽しみがなければ、地球に対しても生物に対しても、何か行動を起こすことは難しい気がしています。気持ちが健全でないと、人にも優しくできないですから。

これからの暮らし方を考えるとき、二拠点生活とか田舎暮らしとか、いろんなキーワードがありますよね。でも田舎暮らしで地球に優しい衣食住を考えていくと、先ほどの「エコビレッジ」みたいに、実際にはやることがたくさん出てきてしまう。忙しすぎて息が詰まってしまうんじゃないかと思うんです。

いまの社会では、環境に関する行動について「こうじゃなきゃいけない」と固定化してしまう人がすごく多い気がしています。そんな中で、タイニーハウスは自由を纏っているところが、個人的にはすごくいいなと感じているんです。小屋をどう使うのか、本当に使いこなせるかどうかは自分次第なわけで。そういう意味でも、これから『HOMEMADE』というコミュニティの中に、どういう人たちが集まってくるのか興味がありますね。

竹内:僕もそうです。毎回違う人たちが集まってくるのかなという気もしています。もちろん学校生活とか買い物とか、生活面でのハードルはあると思うんですよ。そのあたりは悩みでもあり、考えるのが楽しい部分でもあります。

実は『simplife』に登場していた住人たちは、いまはもうタイニーハウスには住んでいないんです。何かをするためにタイニーハウスに住むというより、タイニーハウスに住んだことで何かが見えてきて、次のステージに移っていく。それがすごく面白いなと僕は感じています。

タイニーハウスを選ぶ動機についても、「環境に優しいから試してみたい」というのももちろんありなんだけれど、「可愛いな、住んでみたいな」というポップな気持ちで入ってきてもいいと思うんですよ。実際に飛び込むことで、これまで意識していなかった問題が浮き彫りになってきたり、自分の中にあったちょっとした火種が見えてきたり、葛藤が生まれたりするのかなと思う。

タイニーハウスが人生の通過点とでもいうんですかね。自分でも気づいていない問題を発見する行為に近いかもしれないですね。日常的に自分自身に向き合える人って実はすごく少なくて、何かを始めていくなかで自分を発見して、方向を見定めていくのがいいような気がするんです。

僕のやっていることはマジョリティには受け容れられないかもしれないけれど、マイノリティの中では成立するストーリーだと思う。同じような意識を持つ人たちと、一緒にやっていければいいなと思っています。

HOMEMADEのロゴ。「ここが何かの始まりになるかもしれない。リンゴの実みたいにね」(竹内)

■TREEHEADS
www.instagram.com/treeheads_co/

■HOMEMADE
www.instagram.com/homemade.community/

■simplife @Vimeo on demand(日本語字幕版)
https://vimeo.com/ondemand/simplife

プロフィール

竹内 友一 / Yuichi Takeuchi

タイニーハウスビルダー、株式会社ツリーヘッズ代表。北杜市を拠点に、ツリーハウスやタイニーハウスなどの小規模で個性的な小屋をつくりながら、全国各地を旅している。2017年、アメリカでのタイニーハウスの暮らしをテーマにしたドキュメンタリー映画『simplife』を仲間たちと制作。オンラインで配信している他、不定期に自主上映会を開催中。

編集ライター

千葉弓子

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